0.5人月

人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

体のいい言い訳

saize-lw.hatenablog.com

首もげるほど頷きたくなる記事に出会いました。自分は10数年前この「体」の感覚がわからず記事にあるような「インテリ」のまま面接官とぶつかって就活に失敗し、そして2年ほど前、正社員でプロジェクトにおいて大きな役割をもらい失敗してから、この感覚を察し、そしてこの年になってはっきりと自覚するに至りました。インチキだと思っていた「社会の嘘」とは合理性に基づいた優しさだと今は結論づけています。

32歳で役割もらって大失敗

きっかけになった正社員の失敗というのは、かなり具体的に記憶していて、チームメンバーである内なる味方とプロジェクト外の協力者へと多方面に説得と調整を行わないといけない場面で、MTGをZOOMを通して何度も行っていったのですが、外からはNO、チームからは不安の声をもらってしまい、プロジェクトが進まなくなってしまったことです。その時自分にはチームにしても協力者にしても相手が悪いとはとても思えなかったので、かなり自分を責めました。以前ブログにも書きましたが、なぜかと考える何かと辛い日々ではありましたが、録画されたMTGのZOOMを自分で見返したとき理由がわかる気がしました。

どこか不安げだったり時には自信満々だったり、相手とのコミュケーションで一喜一憂しながら素直にプロジェクトへの思いを伝える自分をそこに見ました。「体」を持っていない自分の会話の内容と演説の声色と表情を見て、「こんな無防備で説得に来ては相手を不安にさせてしまう、相手に信頼してもらえない」と「体」の必要性を直感的に感じるに至りました。

セルフブランディングでもある

自分という人間の価値を見せねばならぬ時、信頼してもらいたい時、私は何をする人で何ができる人で何をみる人なのか、という約束事をきちんと明示し発揮することが大切です。

体なしで向かわないと、相手はどう協業したら良いのか探す行為が必要になりますし気持ちも確認しないといけないでしょう。体がないゆえの何でもやれます、などは「行きたいところある?」に対する「どこでもいいよ」並の負荷を相手に与えます。

結局は、本音や感情で相手にぶつかることになってしまうので、どうしても相手に動揺を与えたり、隙を感じさせたり、何にしてもみんなで協業しながら事をうまく運ぶ上で難しい変数を与えることになってしまいます。信頼こそが大事な人間の仕事、社会生活の中で、この体がないことは致命的な弱点です。

意識しなくても物心つく前から身につけている人はいますし、思春期や恋人を作ろうとする過程で身につける人、あとはバイトなどを通して就活までに身につける人だったり気づく人が大半かとは思います。

ずいぶんかかりましたが、35歳と決着がついた今となって、この「体」を意識しながら働かねばと努力しています。意識さえできてれば、32歳の失敗を回避できたかというと全くそんなことはありません。意識をもって磨いていくものであり、私が10年前、何をやっているのかと不審に思っていた2年3年後の就活の体を意識した大学生達のように、この先のキャリアを日々を積んでいくだけだと思っています。

最近ジムやら服やらカッコつけ始めたりしていることにはこの感覚を身につけたことが大きな理由です。個人的な感覚として、髪、肌、眉、体型から爪の先まで気を使うことは「体」の一つです。服を一定度興味を持てるようになるまでに、NIKEのスニーカーにハマることもきっかけにはなってくれましたが、「体」は、カッコつけることに、モテたいという男の欲望以外の合理的な根拠をくれました。

文学は毒か薬か

体など知らない「インテリ」の私を30歳までがっちりつかまえてくれたのはホールデンでした。ライ麦畑が、ドストエフスキーニーチェが、文学が毒だったかは薬だったのかというのはどちらも正解だしこれからもそうだとは思います。20歳の自分に必要な言葉は16歳のホールデンの苦悩だったし、今だって「インテリ」なので読み返したら励ますような言葉を胸にくれます。いつも心にライ麦畑ボーボー生やして生きたいです。

かわいい

ところで、池袋のPARCOで伊藤潤二フェアやってました。絵は好きでも、グッズのデザインがちょっとイマイチで買いあぐねてしまいましたが、やっぱり書き下ろし絵可愛いからこれ書いてあるものとりあえず買おうと思います。