0.5人月

人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

スニーカー効果

姿見

スニーカーのおかげでファッションにまた少し興味を持てるようになった。

元々はださくない程度に備えるものというのが自分にとってのファッションの心構えだったし、他人のファッションを目にしても、人それぞれ意識が高い人でも低い人でも良くも悪くも個性に着地するというのが今まで生きて人と出会ってきた中で思う実感だった。

つい一週間前に久しぶりに会った友人の服装さえ覚えていない、という脳内の現実を前に、人の印象を深いレベルで形作る奥深い要素だということは思うも、カッコイイ、イケてる、と言ったそういう心の動きになることは無いというのが自分にとってのファッションだった。

そして他人の姿以上に、自分が良いと思った服かっこいいと思えた服を着てみて似合っていると思えても、それほどテンションが上がることもなかったと思う。二三度来たら飽きていた。ただ、このテンションというのは今から話すスニーカーありきの時との比較であって、今にして思えば高くなかったという話でもある。

今このスニーカーという圧倒的にカッコよく見える装飾する物体、見ているだけで幸せになれる物体を見出したおかげで、自分の格好はともかくこのカッコ良すぎるスニーカーに合う服ってなんだろうということを考えるようになった。

大袈裟に聞こえるかもしれないが、私服にスニーカーを履いて姿見の前に立つとテンションが上がり服や小物をあれこれ考えるのだが、スニーカーなしでたつと嘘みたいに心が動かないのである。果ては買った服への後悔が頭をよぎったりする。

そもそも靴を履いて鏡の前に立っていなかったことはファッションを意識している人からすると論外なのかもしれない。知識としてあったし実際今まで全くしてこなかったかというとそうではないのだが、自分は長年白いエアフォース1のハイカットで固定だったし、白い靴に合わない服など存在しないと考えて無視していた部分だった。

これからは、長年お世話になったエアフォース1に感謝しつつ、今のスニーカー熱に従って色んなカラーを履き比べてみたいと思う。今ほどのスニーカー熱もいつか冷めるだろうが、靴を比べて見るという習慣は消えないとは思う。買った服に後悔はしたくないから。

服から見る過去の自分

話は変わって、冬服と春服を買ったりクローゼットから引っ張って並べてひとつ思ったのが、1年前の自分は元気がなかったということだ。そもそも去年買った服の絶対数が少なく変わり映えがしない、一昨年あたりの服を着ていてそれでいて同じような服を買い足したりしていることがわかる。

去年の冬に会社を辞めてフリーランス生活が始まり、そして夏から一人暮らしと、服を見ていくとはっきり傾向がある。捨てた服や買った服を見ると単なる衣替えでもないと思う。

仕事がきつかったのは今更だが、リモートワークに慣れる前で、実家は元々二世帯住宅どころではない作りで広かったが、仕事部屋と寝る場所が同じにしてしまっていて窮屈だった。あのスペースで仕事をして寝ていたのかと思うとゾッとする。あと1年2年続いたらうつになってたのかもしれない。

去年転職を決断した自分と、メンタルに栄養をくれた映画、本、ゲーム、あとはアドレナリンを沸かせてくれたコンカラに感謝である。