0.5人月

人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

ネット人格作りたない

日常会話が文語っぽいのはおたくっぽい

文章と現実の言動の一致を心がけてます。なるたけ強い言葉を使わず、大きく見せようとしないことはもちろん、逆に自虐的にもなりすぎないように気をつけています。

自分を大きく見せたいという欲求は、都合の悪いことは語らないようにすることで代替することができます。自虐的なことを吐き出したい欲求は、根拠となる事実を探すことでセーブすることができます。どちらもゼロにするつもりはないですが、程度は気をつけて現実の言動とギャップがないようありたいです。口語とこの文章を一致させる、という意味ではないです。

また、ここブログで取り上げる内容は、プライベートの出来事を書くというよりかは関心のベクトルに従います。出来事の大きさには従いません。そういう意味で、ライフログだと感じて読んでいた知り合いが実際に会って話した時にギャップを感じると言われることもなくもないです。

知り合いが見ても私生活がわからないかもしれないブログではありますが、ブログの内容を知り合いに見られたとしても取り繕う必要もないテキストにしておくことは目標にしてあります。見せたいから、というわけではなく、この言動の一致を志向するその目的は、ネット人格みたいなものを作らないようにするという啓発的な理由です。

想定読者は多分固定化出来ない

そこでまた一つ大事な問題があります。このブログの読者にあたる人間を誰に想定するかということです。実はというかこれはたぶん何か記事を書くたびに迷ったり、ぶれているポイントです。一日10もpvがいったら良い方というような過疎ブログでも(事実ベースのほど良い自虐)、書かれる文章には当然送り手と受け手が存在しています。これをきちんとさせておかないと、ですますといった基本的な問題すら迷いが出てしまいます。現実でも、話していていきなり口調が変わったりするのはちょっとあぶない人です。

正直どう頭をひねってもこれが出てこないので、現実のふるまいから考えることにしました。そして、職場から、一緒に働いているチームという単位からは少し離れた関係者達にスピーカー役で話しているとき、がしっくりきました。彼らとは話題はある程度共有しているが、お互い何をしているか何者なのかについて、多少の関心と交流はあっても、それは事実ベースのわかりやすいアイコンのような認識が主。この文章もそんな心構えで書きました。

とはいえ、現実自分はずっと仕事なんかしていませんで、友人とお酒を飲んだり、こどおじらしく(事実ベースの適度な自虐)母や父と話をしたり、Discordでぼそぼそとゲームで知り合った人と話をしたりするわけですので、ずっと読者を固定してふるまいを固定するのは現実の自分の言動と一致しているとはいえません。そしてそこには、入れ替えることができない、持っていくと恥ずかしいと感じてしまうふるまいもあるでしょう。問題は一つの記事ごとにそれをぶれさせないことで、それも現実の誰への話し方とあまりずれないようにすることです。