0.5人月

人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

ゲームへの思い改める

ゲームって奥深いと最近改めて思った。もともとゲーム自体の深さは理解していたつもりなんだけど、そのゲームを己がプレイする行為について思うところができた。

何がっていうと、自分が生きてきて何が得意で何が不得意か、何を考えることが好きか嫌いか、どんな場面、状況でどう考えてしまうのかといった思考の癖、認知のゆがみなどと、自分がどんなゲームをどんな風にプレイして何を考えるのか、ってことがはっきり対応しているってことを実感した。

きっかけはTPSのガンダムオンラインでした。ふとゲーム中に感じたある場面でのイラつきが、職場などの生活の中で感じたことのあるものと同じことに気づいてはっとしました。そこから、なんで今この成績かとか、何が楽しいのか、何に腹が立つのか、何でこの試合でうまくできたのか、この機体がなんで得意か、楽しいか、苦手かそんなことの一切について反省と学びがありました。

それからは、味方のプレイに腹を立てては「お前は味方がそう動くべきだと思っているから腹を立てたのだ、自分が正しいから人は自分の思うように動くべきだと考えている、人それぞれの戦い方、ゲームへの向き合い方を省みない傲慢な人間だ」とか「今の局面で引き撃ちしたのは、自分より弱い機体にタイマンで負けるのが怖いからだ。負ける怖さより経験積んで強くなることのほうがずっと大事じゃないか」そんな感じで最近のガンオンプレイはちょっとヤバイサイコな時間啓発的な時間になった。

ゲームすることを馬鹿にしていたと思う

あと同時に、結局自分は今までゲームのことを馬鹿にしてたんだなってことにも気づいた。ゲームはしょせんゲームなんだから、こんなものがうまくできたってしょうがない、って思ってた。

実際ゲームが上手にできることそのこと自体しょうもないし、生活と対応しているからといって、ゲームがうまいなら仕事もできるのか、優秀?なのかっていうのは全く違う話で、生活、人生におけるゲームの位置づけや仕事の位置づけ、などで全く話が変わってくる。かすかな傾向としてあるとは思ってるけど。

だから、プロゲーマーのことを必ずしも心から尊敬できるかっていうと変わらず難しいけど、ゲームをやる行為を馬鹿にする気にはなれなくなった。ゲームを頑張ってる人を馬鹿にできなくなった。

「ゲームのことは奥深いって思ってた」と言ったのに、「ゲームなんてうまくできてもしょうがないとも思ってた」とか、「ゲームをプレイすることを馬鹿にする気がなくなった」というのに、それでも「プロゲーマーのことを必ずしも尊敬できない」っていったり、わけわかんなく聞こえるんだが、言わんとする大切な気づきは、しょせんゲームだったとしても、そこには自分があるということ。

人はチャンネルを切り替えるように何かことを成すわけじゃない。だからゲームに限らずやること全てに学びがある、ゲームで学ぶこともできるだろう、みたいな啓発的なことを言いたい。

言ってもそんな啓発的なことばかり思ってたらゲームは楽しめないじゃないか、って大事な話があるんだけど、ゲームを気楽にやる何も考えずにやる、っていうそういうところにも普段の生活での行動の何かと対応してる。だから、当然、ゲームは上達さえすればいいのかっていうと、そんなのはつまらないし、そんなゲームばかりじゃ退屈。そんなことを考えるほどゲームにも人生に夢中ではない。