0.5人月

人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

なんとなく頭にあるけど言葉でうまく説明できない

それでその場で説明できなくてがっくしして、その後ググったり調べ直したりして、説明できるようになって、「ま、わかったからいいや俺どんまい」って心の中でリカバリして完了ということがよくある自分の思考フローなんですが、このことの問題は、「説明できなかったことによる機会損失」とかよりも「半端な記憶と理解で物事をわかった気でいることによる損失」の方がずっと大きいんですよね。

きちんと理解してない事物には「あそこで読んだor見たor聞いた感じああだったよな」という他力が入り込んでしまうのですが、これだと自分の頭の中で完結してくれていないので思考がグラついてしまいます。うまく自分が思考する中で扱うことができず、自分がきちんと理解した事物とどうしても差がでてくる。

理解を積み上げたものに積み上げて、っていうのが始まる中で、そのフェーズのいずれかで大抵他力があるものは破棄されるか、放置される。そもそも積み上げるフェーズで無意識にオミットされてる。そして、どんどんと思考の質に差が出いく、と。

だから「他人に説明が出来ない」あるいは「テストの点が悪い」って現実に直面して、省みなくちゃいけないのは、自分の頭で考えることができているのか、ってことなんすよねきっと。

「自覚と時間があれば何もかも理解出来んのか」って問われちゃうと、当然のようにNOですし、これは「地頭」とかいう暗黙知含めた次元の一部の範囲の話をしている気がするので、あまり自分を責める気にはなれないのですが、仕事でも日常生活でも、自分の力が口惜しいと思う瞬間や、逆に自分がやったったと思う瞬間の差には、この理解の差に根差すことが多い気がするので、意識しているところではあります。

本やら映画やらに触れて感想がうまく言葉にならない、というのは全くの別ものですけどね。答えのないことについて考えるのって本当に楽しいですよね。