0.5人月

人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

自意識過剰です

自意識過剰人間の災難な旅行

舞台 (講談社文庫)

舞台 (講談社文庫)

『舞台』を読みました。初の西可南子作品でした。
主人公は、いわゆるスタバでMacをドヤ顔で叩くとか、バーでニヒルに一人酒を飲むとか、そういう演技じみた振る舞いへの嫌悪や羞恥が強くある自意識過剰なアラサー社会人。
物語は、主人公がアメリカに海外旅行で、朝食をとっているところから始まり、初日で泥棒に会って財布やパスポートの入ったカバンを盗まれるという、割と絶望的な状況に陥るも、領事館に駆け込むのを避けて、自意識過剰が引っかかりを覚える人間の典型のような振る舞いをする人間だった亡き父との過去を思い出しつつ、アメリカを徘徊する話。

自意識過剰のみんな

人間失格の「ワザ、ワザ、」に雷を撃たれたことがある人はやはり共感出来るだろうし、雷はうたれなくても自意識過剰なら多少なり共感は出来る。
スタバなどもそうだし、葬式などで、そうするのが適切だと思ったから泣く、という人は大人になっても一定数いるんじゃなかろうか。
舞台の結末は、海外で文無しという大変な状況を打開しようとする中で、自意識の地獄から抜け出す光明をみ付け出します。
抜け出すというと語弊があるかもしれないのですが 、今回の主人公のように地獄のように発達してしまった場合には、抜け出すという方が正確で、自意識過剰地獄を抜け出して、自分の自意識と折り合いをつけた、というともっと正確な気がします。
舞台は自意識が地獄のように感じたことがある人には、セラピーのように働く良い小説だと思います。

自分が手に取った初の西加奈子作品としては、失敗だったと思います。でも、文体にも内容にも嫌な感じがなかったので、次は、順当にメジャーな『漁港の肉子』ちゃんあたりを読んでみようと思います。

人間失格

「ワザ、ワザ」という他人からの嘲笑は、あなたが演じてるの私わかってるよ、というなんとも上から目線で、人の心に土足で踏みいるという比喩がこんなにも的確に当てはまる言動が他にあるだろうか、というくらいデリカシーのないゲスな発言だと思います。そして、例の人間失格でもそうですが、状況によってはそれが割と決定的な瞬間になってしまう場合があるようです。
人から受けたその指摘がその通り図星であり、「演じる」ということに対してかなり重心を置く場合に、そんな風に決定的になる場合もあるのかもしれないです、ね。
他人事なのは、やっぱりちょっと共感できていないからです。自分は自意識過剰だとは思いますが。

演技って大切じゃないすか

スタバのどや顔と人間失格を同列に語る時点で、『人間失格』の話とはかなりずれてる気がするので、以下はスタバどや顔批判だけを念頭にお話しますが、
自分は、自分で自分を演出するというのは、とても大切なことだと思っています。いわゆるプロフェッショナルな魂とかも、そういうので加速させたりもするもんじゃないかなあって。
スタバでMacでどや顔してたって良いじゃないですか。そうなりたい自分のようなものをもっているのでしょう。スーツ着るのは社会人の演技するためだと思います。演技が自然になるからです。暴論。
スタバのその手の話は、初手はネタスレだった気がするんですが、最近本気でたたいているような人を見かけます。怖いいんたーねっつ。まあ、これは混んでるときに席とられているせいかのかもしれません。自分もそれは腹立ちます。

少し脱線しましたが、話戻して付け足すと、大抵のことって、本気8割に演技2割とか入ってるんじゃないですかね。はっきりさせる必要も、はっきりさせることも本当はできないんじゃないかな。そして、みんなどっちだっていいっしょ。

そうはいっても、人目を気にして、スタバでパソコンを広げることができない自分を笑ってください。アーメン。