環境が変わって直後はいつだって憂鬱だ。転職先の仕事内容は思った以上に自分のやりたいことに近かった。技術要素もかなっているし、自由度もある、サービスを育てるという感覚に襲われて、とてもモチベーションが上がっている。が、辛い。技術ではないところが、ともかくわかんないところだらけだ。
こういう時期は、過剰にフィクションを摂取したり、完成しない小説を書き足しては、現実逃避に勤しむのである。GRIDMANのあかねちゃんはエッチだ。
そして、憂鬱なのは実は、転職先どうこうという話だけでもない。最近、自分がもう30だという生物学的よりも大きな社会的な事実の重みをひしひしと感じて生きている。
同窓会に参加すれば、出席者一同からは結婚の話が出てくる、今いる彼女と落ち着こうかなどとのたまい。仕事場を見渡せば、自分はもうとっくに若手ではない。若手にだって然るべき役職がつきはじめる。
30、いやもしかしたら28かもしれないのだが、この年齢は、結婚(恋愛)、仕事、どちらも一つ勝負がついた年齢だ。今の自分の役職、年収や、パートナーの存在、養っている家族の数は、大学受験の偏差値以上に硬直的な社会的なステータスと言える。
そして、ステータスは社会的な生活を営む人間が「幸福」という満たされた状態で生命を全うできるかどうかの、その確率の高さだと思う。
私ごとですが
結婚はもう厳しいと言っていい。これ以上は言及しない。
仕事については、今やりたいことをやれているのは間違いない。ソルジャーでもなんでも、これからもそこそこに楽しく、自分の技術力を磨きながら、仕事を頑張っていきたいと思っている。
だが、自分はやりたいことをやれていると思う、なんていうのは、売れないミュージシャン気取りの実体はコンビニバイトのフリーターでも出来ることである。あるいは、大学受験の比喩にならって、誰も知らないFラン大学に入学して、某巨大有名メーカーで働くんだと意気込んでる友人を見たろうか。
要は、幸福のリアリティーがないんだ。
慰めたいのは、残念なステータスに落ち着いてしまった自分のプライドではなく、明るい希望を持つことができない悲観的な展望である。
彼女はできない、作ろうともしない、結婚願望は強くない。仕事はソルジャーで、出世願望もない。そんな若者の願望に、幸福のリアリティーはない。そして、それこそが私のリアリティーなのだ。GRIDMANのあかねちゃんはエッチだ。