0.5人月

人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

青春して成長する物語を読むとさ

彼、彼女ら、主人公はあんなことがあって、こうも成長した。こんなに劇的で作為的なことが起きてやっと人格が成長していった。じゃあ、どうやったら人は、自分は、成長出来るんだろうかとか考える。

主人公のこの成長があり、この人間配置、この環境要素、と、なんだか劇的な出来事や、素晴らしい人間様達に囲まれないと人は成長出来ないんじゃないか、と錯覚したくもなるんだが、これは物語を描く人間が、こうすることで読者がカタルシスを得られる、として生み出した最適解。

見逃しちゃいけない大きな違いは出来事が意図的で劇的である以上に、やっぱり主人公様は、一般人と違って、成長することを周りから要請されて、強制されている点なんだよな。現実見渡すと、すごい成長したな、と感じる人はとても突飛かつ自発的で内発的な感触が個人的には強い。環境がキッカケなのは基本として。

さて、ある人間の明らかにevilな振る舞いに対して、こいつどうしようもねえな、ってアクションと、どうにかしないと、ってアクションがあり、後者には愛があって、つまり物語はあ(ry

職場で選択を迫られ、自分に対して、後者をとってくれた人のことを思いだしたりする今日この頃です。成長してくれとの要請に応えることは出来なったかもしれませんでしたが今も参考にさせて頂いてます。

ところで、成長しなくてもカタルシスは得られるし、それこそ「文学的」な作品には多いよな。これもI

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

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