0.5人月

人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

久しぶりの文学

 

 

かの有名なヒッチコックの映画の原作にもなっているデュ・モーリアという作家さん。自分は初めて読みましたが日本でも人気の作家さんだそうです。

THE文学

久しぶりに文学らしい文学読みました。なんとなく夏目漱石周辺の日本の近代文学臭がする作品が多いのと、そうでないと感じた作品は海外っぽいユーモア作品か、サスペンスっぽいのもなかなか。
一貫してるのは、人間の悪い部分を見つける「人間観察」みたいなものがあって、その悪い部分で人がすれ違っていくさまが描かれていることです。
それは、単に笑えるすれ違いだったり、身近に感じられて説得力のある卑しさがあったり、あこがれや期待を裏切る落胆だったり、愛憎があったりと様々です。
デュモーリアさんは社交が苦手だったというのがよくわかります。人間関係のしんどさがひしひしと伝わってくるのです。

ピックアップすると

印象に残った作品とゲロはきそうになった話を含めて3つほどあげます。

「南風」は、一番初めにある作品ですが、結果、この作品のインパクトはすさまじく、「人間観察」ではありますが、この作品集の中では、スケールが大きく、少し浮いている印象でした。

一行でストーリーを言ってしまうと、
「世界を全く知らない平和すぎる孤島に住む住民達のもとに、世界を旅する水兵がやってきて滞在する」
という話です。
もうこれだけで、何が起きるのかということは想像に難くないわけですが、そうなってしまうだろう、という感覚が浮かびこそすれ、いかんせん描写や語り口が秀逸で、平穏が崩れていくその、やるせなさがすごいです。
ステロな人間描写が目立つ作家さんなんですが、それがこの作品ですごくマッチしたという感じがします。

「満たされぬ欲求」と「ウィークエンド」は、面白いです。笑います。
ある二人組の、人間観察というよりすれ違いコントです。特に珍しいタイプの作品ではないですけど、この短編集にあっては、この話が清涼剤です。浮いてます。こういう楽しいことも考えて描写してる作家さんなんだと思うと、なんとなく本を読みすすめるのも楽になります。

「飼い猫」は、ゲロはきそうな作品でした。
「寮生活から実家に帰り成長した姿を見てもらおうと張り切る子供と、親とその使用人と」という話です。
女子供から親への純真な気持ちと、使用人の男と親の間のやりとりと、子供と使用人の男とやりとりと、なんとも不愉快きわまる作品です。いやdisるというよりゲロはくくらい力がある作品ってことです。
女子供の一人称で進む話で、すっごい女の子に感情移入させられてしまうんすがががががが・・・
もう、いやな感じなので、省略します。

他にも胸糞ものが多かった。そういうの好きな人には大好物なのかもしれません。正直、あんまり好きじゃないですが、代表作であるレベッカか鳥あたりは読んでおきたいです。

全ての悩みは対人関係にあるってアドラーさんが

人は人を自分の都合のいいように見つめ接していますが、自分にとって都合の良いように人がいてくれることはまれで、自分か相手の取り巻く環境が変われば、相手のまた新しい側面が見えてきます。

他人の新しい側面を見つけられるということは、自分の新しい側面を見つけられるということでもあり、良いも悪いもない人間の条件のようなものだと思いますが、悲劇や喜劇は人間の関係の中にあって、心がけ一つで回避できるものではないんですよね。

悪目立ちする人間たちの間にあって、この物語の人間達が出会った多くは結果、悲劇ですが、同じシチュエーションで幸福を味わった人たちの風景を容易に想像できます。というか寧ろ意識してそういった話にしているところが鍵になってます。

行きつくところは「人間関係」だ、って考え方はわかりますが、人間関係はそれ自体を志向するものではないと思っています。地獄も天国も、自分の人生を考える際には二次的なものにすぎないんだと考えて、距離をおきたいところです。

以下は、巻末の解説でもあげられている、南風の一説です。

彼らの暮らしが激しい感情、激しい悲しみに揺さぶられることはなく、彼らの欲望は一度も燃え上がらずに魂のなかに囚われたままだった。彼らは手さぐりで暗闇を進ことに満足し、その闇の外にあるものは決して求めず、子供のように盲目的に幸せ生きていた。心の奥の何かが、無知にこそ安全があるのだ、と彼らに告げていた。

  『人形』P12  ダフネ・デュモーリア  務台 夏子 訳   創元推理文庫