0.5人月

人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

スーパーカブなるラノベについて

啓発的な、余りに啓発的な

アニメのCMは原作通りという感じ。主人公は何でもないただのボッチの少女であり、物語のファーストインプレッションとして出会うキャラクターにはラノベギャルゲのみならず学園物語のお約束とも言える「孤高の美少女」との出会いがあり、その昼休みがあるのだが、それでもこの「浮つかなさ」はなかなかものだと思う。

カブに乗り、話せるクラスメイトができて、アクセルをいつもより強く踏んだり、カブにカゴをつけてみたり、バイトを始め奨学金だよりの生活から自分でお金を稼ぐことの意味を体感したり、あるいはもう一人の主人公たる「孤高の美少女」礼子が夏休みに富士山に原付きで挑む話などなど。

特段美しい文章か、読ませる文章か、というとそうでもないのに、何でもない主人公小熊と「孤高の美少女」礼子の日常の変化を楽しめるのは、なんとなく感じ取れる彼女等の非日常への飢餓感に対する共感からだろうか。人が日常から一歩外に出るその段階を描く滑らかさというか美しさは確実にあるとは思う。

そう、だからつまり、これは陰キャラが一つ運命的なアイテムと出会い、コンフォートゾーンを抜けて、ゾーンに入っていくその課程を鮮やかに描いた啓発本なのだ。浮ついた日常系の非実在美少女達が振りまく二次元的な色香はこの物語にはない。

でも、もっと良いんだぜ、教師に隠れてこっそりバイクに2人乗りしたなら、もっと空の青さとか自分たちの未来とか不安とか孤独とか、そんなどうしようもない青臭いこととか、風にあたりながら発散しちゃっていいんだぜ。

自分にとってのクライマックスはここだ。夏休み初めてできた友人、礼子からの急なお誘いの電話、本当は人に相談したいことがあったが、孤独なりに予定を組んでいた小熊が返事一つで彼女のところへ向かう返答をした時に自分についた言い訳だ。

今まで一人で生きてきた。これからもそれは変わらない。でも、だからといっても少々の寄り道をケチることもない。せいぜいガソリン代が余分にかかるくらい。

カブならば、それはさほどの負担にもならない。

                                                            スーパーカブ1巻 (28)バイトの終了より

カブというアイテムを使ったお洒落な言い訳だ。物語の暖かさが詰まってる。