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人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

一人新本格ブーム

新本格の作品達は、大学生の時に意識して手を出したりはしてたんですが、今ひとつ乗れなかったんです。でも最近久しぶりに手を出してみると、古典のミステリの上積みが出来てきたおかげか、すごく楽しく感じられるようになりました。一人新本格ブームです。

密室教室って検索するとエッチな案件ばかりヒットするよ

中でも、法月倫太郎氏の作品は、久しぶりに、「この人が書いた本を全部読みたい」と思えた作家さんです。『キングをさがせ』『密閉教室』『頼子のために』を読みました。どれもすごく良かったです。

全部読みたいと思えた根拠みたいなものはまだはっきりと把握できていませんが、個人的に文章を追うのが全く苦にならない作家さんです。
こういう感覚で本を読めるのはめったにないことですのでうれしいです。

それと、過去駄目だったんですが、今読みたいと思える作品も当然出てきていて、綾辻さんなんかその筆頭で最近『水車館の殺人』読んでみて、やっぱりというか案の定というか、すごく楽しかったです。筋は予想できても、トリックは予想外でとても面白かったです。
とりあえず館シリーズ全部読みたいですね。我孫子さんの殺戮以外の作品も読んでみたい。

例の盗用事件とかあるのであまりこういう文脈で語るとファンの方は不愉快かもしれませんが、『金田一少年の事件簿』楽しかったなあ、とちょっと懐かしい気持ちになるのもいいですね。漫画でももちろんいいんですが、ドラマはすごく印象的でした。

事件がおきて謎を解決したからなんなんだとか思ってた文学青年

ミステリっていうと、本格読むよりは、映画ドラマの原作になるような、売れっ子作家さんたちのミステリが好きだったんですよね。松本清張さんほどではないんですが、初期の東野さんだったり横山さんだったり、どっちかといったら社会派なミステリ方向でしょうか。

さらにいうと、ミステリ自体あまり好きではなくて、上の中題みたいなことを思って、大学生くらいまでは文学性を感じられる作品を求める傾向が強かったです。文学的な『何か』がないと小説を読んだ意味がないとか、そんなことすら考えてた節があります。最近はむしろ文学臭が強いのが少ししんどいですが。

それと、新本格の作品に文学性がないのかというとそんなことはないでしょうね。文学という言葉の定義が曖昧なまま話してすみませんが。

どんな作品にも、というと難しいんですが、「どんな作家にも」文学性がある、というのが割と文学青年を抜ける時頃合いに抱いた印象でして、こう考えるようになってから、純文学にこだわらなくなった気がします。

どんな作家にも、何か少しその人固有の考え方、思考の癖のようなものがあって、そして初期、中期、後期であったり、時系列で追ってみると、その作家の思考の癖の深化がみえてくる。で、それをどう自分で解釈するかで作家の文学性みたいなものを嫌でも見出すことができる。そういう楽しみを覚えてから、小説を読むのがまた一段と楽しくなった気がします。

推理しながら読んでるだけで、楽しいばかりの作品達ですが、今いった読み方もあるので、新本格の作家人を読み進めるのが楽しみです。

結局、純文学にこだわらなくなった、というだけで、文学性は求めてやまない思春期本読みゴリラなんです。