いろんな人の感想や、あずまんの記事を読んで、思うところがかなりあったので、感想を付けたしたい。
ドンイク含む富豪達が社会だという視点
あずまんは最後の展開を、社会に対する反撃と言っている。そして、万引き家族の結末が社会に対する敗北と比して、日本と韓国の考え方の違いについて軽く言及している。
ここで、すごく忘れていたように気づくのが、ドンイクといった富豪たちを社会だとみなすことだ。この気づきに基づいて、前回の感想書いた時に自分が考えていたことにあとづけしてみる。
自分は、ドンイクのあのリアクションに対して、偏見だと思った。彼があんなにもevilであるというのは、映画は描けていない、リアリティが歪んでると自分は言った。これというのは、要は、自分が「現実社会はそんなに悪いものじゃない」と解釈しているいえるのかもしれない。
また、違う形で半地下に戻れる家族たちの姿を見れるのではないか、といったこの見たい結末というのは結局万引き家族の結末である。それはあずまん的には社会に対する敗北という結末であるのだ。
貧乏が社会に敗北するしかなかった、自分はそういう結末をこそ望んでいて、そういう現実を知ることこそが、リアリティだと思っていた。これは、映画のリアリティの問題より、社会というものに対するリアリティを、自分はどう捉えているのかの問題だったのかもしれない。
結末の解釈について再考
そして何より、大事な自分の解釈の違いというのは、最後は希望でありパラサイトは明るいという解釈だと思う。
正直、なぜあれがあくまで「希望」なのか、ということについて明確な伏線はないように感じるんだけど、それを言うなら自分がむしろ「叶わない願いであることの強調としてあの夢を見せた」という解釈についても根拠がない。
「計画は立てない限り失敗しない」という台詞を吐いたのは父のギテクであり、子であるギヴは計画を立てて、結果はどうあれあの家族でのパラサイト計画は、ある程度まで成功している。
そして、もう一つ自分がきちんと意識できてなかった忘れちゃいけない一つの大事な観点があって、それは一家離散となった万引き家族に比して、この映画では確かにそうはならなかったこと、この映画が描けている貧乏が孤独じゃないってことだと思う。この映画のラストを希望とみるか否かっていうのはこれにかかっているように思える。
確かに姉は死んでしまった、だが母はテロリストに襲われるも勝って殺してなおたくましく生きている、逃亡犯となった父からのモールス信号を息子ギヴは確かに受け取っている、これらは確かな絆であって希望だ。
父は未だ息子にとって父として顕在し、警察に捕まってなどいない、社会に負けてはいない。こう捉えられるとパラサイトは絶望ではないように思える。最後のビジョンは確かに希望のビジョンだと言っていいのかもしれない。
映画で自分のリアリティを相対化する
映画にではなく、自分の中にあるリアリティを疑って、パラサイトをもっと多分一般的に解釈しなおしてみた。
映画の中で偏見、といったものが自分の偏見、バイアスにもつながっていることに気づけた気がして、あずまんのみならず人の感想に触れるのがとても楽しかった。この作品、素直に結末を明るいと感じられた人にとってはもっと良い映画に写ったんじゃなかろうか。
自分は実はこれをふまえて、頭の中に口に出すのははばかる新たな偏見が顔を出して、好きじゃない理由みたいなものがまた強くなった。
父が包丁を刺したことには納得できても、社会が貧者を人と思わないとは思えない、自分の中にある社会のリアリティというのは、万引き家族のように冷淡でよそよそしいものだと感じてる。