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人生と仕事が伸び悩んでるWeb系のおじさん

ノーウェイホーム予習にアメスパ

ノーウェイホームの予習としてアメイジングスパイダーマンを見ました。アメスパのネタバレで、トビー版の比較しつつかきました。比較は無意識だったのですが、なんとなく違いというか差分のようなものを打ち出してくるような感覚があって、自然に感想もそれに引きずられてしまいました。ちなみに今のMCUトム・ホランド版は全く頭をかすめませんでした。

アメイジングスパイダーマン1

不必要な死

感想として、面白くないわけではなかったのですが、総括すると好きにはなれない映画でもありました。

まず良かったところから話すと、ドビー版ともトムホ版とも違うピーターパーカーの姿は新鮮でした。MJではないグウェンの女優さんも綺麗。

相変わらずの存在感のベンおじさんはやはりというか亡くなってしまうところ含めて悲しく暖かく描けてますし、ヴィランリザードマンのキャラクターも魅力的で、その境遇には素直に同情を寄せられるくらい際立ってました。

あとは流石の500日のサマーのマーク・ウェブ監督というべきか、ピーターとMJのイチャコラには他のスパイダーマンシリーズでは味わえない甘酸っぱさ、すこぺっそすな気持ちにさせてくれます。デートに誘うところすごいですね。Usが脳内に流れ始めました。

反面、以下全て好きになれない理由になってしまいますが、まずシンプルにアクションがつまらかったです。相手がリザードマンということで、まともな一対一バトルができないのはありますし。どうつまらないかというのは表現しづらいのですが、漫画で言うワンピースの戦闘シーンのようでした(唐突なdis)

次がまた、このアメイジングの第一作はっきりと好きになれなかった理由になるのですが、この映画におけるおじさん達、大人達の死についてです。

まずはベンおじさんの死です。基本的な流れはドビーマグワイア版と一緒ではあるのですが、あの大事なドビーマグワイア版のスパイダーマンrisingにあたる代表的な言葉は避けられています。それらは励ましとして最後にモノローグ的に差し込まれるようになっています。前作と事件としては同一ですが、今回のピーター・パーカーがスパイダーマンとしての道を踏み出すのはこのベンおじさんを殺した人間を探すためということでかなり違っています。ヒーローとして少し不純にも感じるこの動機にあって、どうしてスパイダーマンとしての優等生的な振る舞いをしていくことになるのか、個人的には説得力もかっこよさもなかったです。

加えて、一番気に入らなかったのが、グウェンの父親であるジョージステイシー警部の死です。

比喩的な意味合いですがスパイダーマンはこの警部であるグウェンの父親に勝てていないと思います。法律にのっとって裁く機関とスーパーパワーの自警団の対立、二人がテーブルで対峙した際に警部から発せられたこのアンサーに、ピーターパーカーは真正面から向き合っていないように見えました。最終的にはヴィランを倒すために二人は協力することになりますが、結局どうやって警部がスパイダーマンを認めたのかというと、単に実力行使したから、有事であったから、にしか劇中からは受け取れません。そんな応答なしに、「ひとりじゃないぞ」と勇んで駆けつけた挙げ句、グウェンを巻き込むななど呪いの言葉を吐いて、命を落とす展開には少し唖然としました。

さらにいうと、彼の父親も死んでいますが、これも疑問です。ピーター・パーカーは父の痕跡を辿ってスパイダーマンになるきっかけをつかみますが、この第一作目において、父から何も受け取っていないように感じました。原作が設定がどうこうという話ではありません、彼の父は死ぬ必要があったのか、死を描く必要があったのか疑問です。父を失った、という喪失を描くとして、そもそも最初からそれなりの勇気を持って、真っ当な心と頭脳を持って育った彼が何を失っていたというのか、またそのあと何を得たのか最後までわからなかったです。

「父」「社会」に説教を受けろ、というようなマッチョなことを言いたいわけじゃないのですが、それなら彼らは死ぬ必要はなかったんじゃないか、なんのために彼のために死んだのかわかりません。

今回のパーカーにとって、ヒーローをやることは特段問題にはなく単にクモに噛まれたから、問題なのはキミ(グウェン)と僕だけ、という印象で、この映画をとても暗く感じると同時に、セカイ系なヒーロー映画という印象を受けました。

アメイジングスパイダーマン2

失恋Rising

2についても基本的には同じ感想です。アクションはエレクトロなど戦ったところで楽しくなるわけがないと思うや、案の定。

はたやこの作品のピーターパーカーは一人で勝手に成長して、そのまま立派にヒーローをこなしている、いけてるヒーローの様子で白けてしまいました。

トビーのパーカーが童貞で感情移入ができたが、アンドリューパーカーがプレイボーイだから客がうけつけなかったのだ、というよく言われる雑なまとめがありますが、なかなか核心をついている気はします。

童貞臭さとはいえ、彼女にだけ影響を受けてグラグラしているこのスパイダーマンに比して、真っ当に社会と向き合って葛藤している印象を持つのは童貞(トビー)の方です。アメイジングスパイダーマンは人の命を救うことはあっても、彼自身はヴィランからはもちろん、人から影響を受けません。描かれる市民もどこかすごくアイコニックです。

社会の中で色んな人に影響を受け与えながらも成長する。すごく人生訓じみてて説教くさいですが、そこに超人的な力を持つヒーローというギャップと打倒すべき悪役ヴィランをもって、楽しくド派手にそして感動的に描くのがヒーロー映画の素晴らしいところだと思います。個人的には、このアメイジングスパイダーマンにこれを見出すことはできませんでした...が、

散々disってしまいましたが、このアメイジングスパイダーマン2のラストは例外的に良かったです。

ラストのかっこよさ、美しさ、は打ち切りのはずの続編などそもそもなくて良かったのだ、と、カラマーゾフの兄弟よろしく、これこそが一番美しい終わり方だといわんばかりの内容です。何度か見返してしまいました。

これはマークウェブという監督をふまえ、父でもおじさんでも警部でもなく、彼女であるグウェンを喪失したからこそ描くことができたシーンだったのではないでしょうか。

ピーター・パーカーのセカイの中心だった彼女を無くし、市民の声をもらってヒーローとしての自覚を得て立ち上がる。最後のスパイダーマンrisingは鳥肌モノです。

矛盾して聞こえるかもしれませんが、ラストが美しいとはいうものの、今回のスパイダーマンがやっとはっきりとした喪失を経験したこの2ラストにこそ、続編への期待ができるものだったとも思います。

そんなわけで、好きにはなれないが嫌いにもなれなかったアンドリュースパイダーマンの3作目が見れないことは残念ですが、ノーウェイホームで元気な姿が見れることを期待してます。