人文
いわゆるな人文系の本。哲学、社会学、法律学やらの本も好きです。実は小説より好きかもしれないです。実際、大学のときは小説よりそういうカタイ(大便感)本を読むことのほうが多かった気がします。
興味でもって、色んなジャンルの本を手には取っていき、好きな哲学者や、化学はジャンルなどが出来てくると、哲学者だったら同時代の論敵や、その作家の〇〇主義的思想を受け継いだ▲▲派、だとか、網を巡らすように読みたい本を追って行きます。
突然ですが好きな人文本を2冊紹介します。
道徳の系譜学
道徳という言葉の起源を明らかにし、キリスト教をルサンチマンの「奴隷道徳」にすぎない、と暴きたてていくのが基本的な道筋になります。フランクに言い換えると、ニーチェ先生が「陰キャどものルサンチマンがキリスト教作りやがって、陰キャラクソメンが強者に勝ってしまう世の中になってしまったFuck!」という本です。
この痛快な主張の愉快さは勿論のこと、過去の文献を参照し、言葉の意味や語源などを引用しては、論理的正当性を担保していく手法がとても面白いです。
この本の思想の他、この手法自体も、他の思想家にインパクトを与えていて、有名なところで、パノプティコンのフーコー氏にもこの手法が受け継がれたとのことです。
キリスト教は奴隷道徳のルサンチマン
さて、キリスト教がルサンチマンであるという過激な主張の判断根拠の一例としては、「左の頬をぶたれたら右の頬を差し出せ」があります。
問題は、なぜ左の頬をぶたれて黙って立ち去らずに、右の頬をさしだす必要があるのか、というとこでして、その理由というのが、暴力で倒すことが出来ない相手に対して、自分が精神的に優位にたとうとしている、ということが推察できるわけです。
自分の手が届かない葡萄を美味しくないものだとするのは「酸っぱい葡萄」で、これ自体は誰にでも大なり小なり経験があることと思います。
ただし、そこから「甘いものを食べない人間こそが幸せになれる」、「喧嘩は負けるが勝ち」、「暴力を振るったほうが弱いのだ」と言い出すのが、今の左の頬の例であり、ルサンチマンです。中々業が深い人間に聞こえませんか(ここの酸っぱい葡萄の話は「道徳は復讐である」っていう永井均さんの本からです)
ニーチェはアホリズム(アフォリズム)が有名で、道徳の系譜学以外では、あまり一冊分筋道だって書かれた本が少ないです。道徳の系譜学はその点珍しいです。多分、訳のおかげもあって、とても読みやすくもあるのでオススメします。
ニーチェの力への意志について
簡潔に行って、自分で何か意味を解釈して、あるいは価値を想像して、世界の中で自分を強くあろうとすること、相手より優位に立とうとする志向を、力への意志と言います。
ニーチェは、皆が皆この力への意志で持って、自分で自分の価値を創造しろという話をします。啓発的で素晴らしいですが、「完全に」自分で自分の価値を創造できる人とはつまり○チガイです。「キ○ガイになれ!キチ○イになれ!」と叫んでまわるのがツァラトゥストラだと思ってます。すみません読んでません。
そういう危うさもあるところがニーチェの良いところなのかもしれないです。一言一句あんまり真に受けて読む必要はないタイプの作家さんと思います。
それと、奴隷道徳にせよキリスト教を作った人達はいずれにせよ偉大ですよね。世の中でキリスト教の教えによる価値観を作ったのですから。
ニーチェの影響はフィクションノンフィクション多岐に渡ります。ドストエフスキー読む時のお供にどうぞ。
利己的な遺伝子
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 単行本
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要約すると、利己的な生き物である遺伝子が自分らの繁栄を目的に、乗り物である動物(昆虫含む)という生存機械を操縦している。と仮定するとすべての動物の利他的な振る舞いを説明することができる。
しかしながら、人間については、その比喩「だけ」では説明することが出来ず、人間を解釈するためには、遺伝子が、人から人へ受け継がれ流れて行く文化の川、「ミーム」を泳いでいるとして人間を捉える必要がある。というのが要旨になります。
実際にその解釈に基づいた動物の行動の解説例は多岐に渡りますし、遺伝子については、もっと粒度の細かい自己複製子という観念を使って、地球に生命が生まれる時の原子の振る舞いから説明をしてくれています。息苦しさを感じるくらい論理的な上に、比喩がともかく華麗です。「ミーム」の概念がともかく有名ですが、この本の凄さはそこではなく前者です。
「人間が遺伝子に操られている機械である」という捉え方、「利他心は人間に生来的に組み込まれていない」というような物言いが、キリスト教の信者の方達に火をつけてしまったようで、反響は大変にあったそうです。ただ、単純に進化論の中で最も世間的に強い主張であるので、当然の流れかもしれません。
ドーキンス氏は後天的に身につけたのだから尊いのだろう。という趣旨のことを言っていた気がします。ただ、進化論者だけにキリスト教に対しては明確に批判的で、著者自身は「神は妄想である」という本を書いてます。宗教の暴力性などをデータを証拠に叩きまくる本です。
個人的には、ミームという観念を使って説明してくれたことに間違いがあるとか反論があるわけではないのですが、このミーム自体の研究は、結局、進化心理学の亜種で例の理系の社会学になってしまうだろう概念な気がします。
進化論について(※ドーキンス氏の主義思想はネオダーウィニズムと呼ばれています)は、他に「進化のなぜを解明する」という本が進化論に基づいた化石を採掘して見せる本がありまして、まさにドーキンス氏の理論を補強する物証にもなっていて、もう反論の余地など1ミリもなくなったと思っています。
実際、生で喋ってる時にどうかとかは知りませんが、読んでて思うのが「ディベートの達人」という印象です。論理的に正しく、比喩がとてもわかりやすく秀逸で、完膚なきまで相手の意見を叩きのめすような感覚が読んでて受け取れます。
そういう意味でもオススメしておきます。その力強さと、アメリカにおけるキリスト教の温度を知った気になれるかもしれない。
世界で一番著名な進化論の科学者として、戦わざる負えないところがあるのでしょうね。
暴力逓減本流行ってると思います
ところで最近では、リチャードドーキンス、ピーターシンガー、スティーヴンビンカー、と行った人類のビジョンについてすごく進歩的で意識が高い人たちの言説がかなり支持されているそうです。日本では人文など話題にはなりませんので、実感が持ちにくいですが、前者の三人は海外でも相当な知名度と影響度を持っています。3人ともTwitterもやってるからフォローしていいね!押してあげてね(何様感)
ピーターシンガー氏の「実践の倫理」という本については、今度書きます。